なぜ厳島神社は海の上に建てられたのか

珍しい海の上に建てられた神社

厳島神社は海の上に建っている。

満潮になると朱色の社殿と大鳥居が青い海に浮かんでいるように見える。潮が引くと、その足元に砂の渚が現れ鳥居まで歩いて行ける。潮の満ち引きとともに姿を変える世界でもめずらしい神社だ。

なぜ、わざわざ海の上に建てたのか。そして、どうやって千年近くも保ってきたのか。その答えは、この島そのものと寄せては返す潮のなかにある。

削ってはいけない島

宮島(厳島)は古くから島そのものが神とされてきた。山も森も島の土地そのものが「ご神体」、つまり神の体である。

だとすれば、その体に手を入れることはできない。木を切り土を削って地面を平らにし、そこに社殿を建てる。それは神の体を傷つけることになる。

だから社殿は島の上ではなく、陸と海の境目——潮の満ち引きする渚に建てられた。神の島を削らず海の面を借りる。社伝では厳島の創建は推古天皇元年(593年)にさかのぼる(嚴島神社)。「海に建てる」という選択は、ずいぶん古くからのものだった。

清盛が持ち込んだ水辺の様式

いまに伝わる壮大な社殿を築いたのは平清盛である。

この地の生まれではない。伊勢(今の三重県あたり)を本拠とする平氏の一門に生まれ都で育った。安芸守に任じられて瀬戸内海を治めるうちに厳島へ深く帰依していった(平清盛(Wikipedia))。橋渡しをしたのは当時の厳島の神主・佐伯景弘だ。清盛と結んでこの造営を進めた実在の人物である。仁安三年(1168年)という造営の年も景弘が残した報告の文書にもとづく(ひろしま文化大百科)。

清盛が持ち込んだのは寝殿造。平安の貴族が住まう、あの優雅な邸宅の様式である。建物を回廊でつなぎ海へ張り出させる。そんな住まいの様式を、そのまま海の上へ移したのだ。世界にほかに例のない社殿は、こうして生まれた(UNESCO 世界遺産センター)。

清盛がしたのは無からの創建ではない。五百年以上も渚に建ってきた古い社を、けた違いの規模で建て替えたのだ。

海と戦わない

海の上に建てるということは、一日に二度、満潮のたびに床下まで海が満ちるということだ。台風が来れば高潮と波が押し寄せ塩が木を蝕む。

ふつうの普請なら水を締め出そうとする。すきまなく塞ぎ固く閉じて海に抗う。けれど厳島神社は逆を選んだ。

回廊の床板は板と板のあいだにわずかな隙間を開けて張られている。満ちてきた海水が床下から押し上げるとき、もし床が塞がれていたら水と圧力は行き場を失って板を突き上げ壊してしまう。隙間があれば水も圧力もすうっと上へ抜けていく(広島県 dive! Hiroshima)。

締め出すのではなく通す。固く造るのではなく、あえて隙間を残す。弱く造ることで、かえって壊れにくくする。海の上で生きるための知恵だった。

埋めない鳥居

海に大鳥居が初めて立ったのも清盛の造営のときとされる(厳島神社大鳥居(Wikipedia))。

高さ16.6メートル、重さ約60トン。これほどの巨体が、じつは地面に埋まっていない。やわらかい砂地に敷いた石の上に自らの重さで載っているだけだ。埋めれば神の島の地面を深くえぐることになるし、そもそもぬかるむ砂泥では埋めても効きが悪い。だから埋めず重さで立たせる。

鳥居のいちばん上に渡された横木は箱のような造りになっていて中にこぶし大の石がぎっしり詰めてある。重しである。柱の下には松の杭を何十本も打ち込み、ぬかるむ砂泥を締め固めて土台にする。柱そのものにはクスノキを選んだ。比重が重く、腐りにくく、虫にも強い。海水に浸かり続ける柱に、これ以上ないほど向いた木だ。

「埋めず重さで立たせる」という構えは建て替えを重ねるなかで磨かれてきた。いまのように主柱の両脇へ袖柱を添えて接地面を広げ、やわらかい地盤に荷重を散らす六本脚(両部鳥居)になったのは、はるか後の天文十六年(1546年)の再建からだという。現在の大鳥居は9代目、1875年(明治八年)の建立で、2019年から2022年には令和の大修理も行われた。

潮が味方

これだけの難所で木造の社殿が千年近くも保ってきたのはなぜか。味方になったものが二つある。

ひとつは場所だ。ここは瀬戸内海の島を背にした入江だった(文化庁 文化遺産オンライン)。外洋の荒波は直接には入ってこない。穏やかな内海のさらに奥まった水面だからこそ海の上でも木の社殿が保つ。

もうひとつは、あの厄介なはずの潮である。潮が大きく引くこの場所では干潮のあいだ社殿の下が歩ける地面に変わる。一日に二度、普請も点検もできる乾いた足場が現れ満潮になればまた沈む。社殿を沈める潮が、その社殿を建て保つことを可能にしていた。敵に見えた海が、じつはいちばんの味方だったのだ。

宮島の潮がなぜあれほど大きく引くのかは 宮島はなぜあれほど潮が引くのか にまとめている。あの大きな干満こそ、この舞台を成り立たせる装置だった。

唯一無二

こうしてできあがったのは世界にほとんど例のない建築だった。海に鳥居だけが立つ場所なら各地にある。けれど寝殿造の社殿を回廊でつなぎ、まるごと海の上へ張り出させた神社はほかにない(文化庁 文化遺産オンライン)。境内の能舞台さえ海の上に建てられた唯一の舞台として知られる。

1996年、厳島神社は世界遺産になった。このとき線が引かれたのは社殿だけではない。その前に広がる海と背後の弥山(みせん)の原始林。島と海と山を、ひとつづきのものとして守ることになった(UNESCO 世界遺産センター)。社殿の前の海が遺産に含まれている。ここでは海はただの背景ではない。潮が満ちて社殿を浮かべ潮が引いて渚を返す。その動きごと厳島神社という風景なのだ。

机の上に、潮とともに変わる宮島を

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宮島のシーンでは昼の干潮と朝夕の静かな満潮を描いています。神の島を削らず海を受け流すように建てられた社殿。その「海とともに姿を変える」性質を机の上の小さな画面に置いておけます。

なぜ海の上に建て、どうやって保ってきたのか。それを知ってから眺めると潮の満ち引きが少し違って見えるかもしれません。

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参考

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